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2006年03月31日(金)更新

お客様の声から作品になる

ミニハンドタオル

こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】京都工芸の寺田です。

 タオルサイトをオープンしてまだ浅いですが、みなさんのご要望を
 お聞きして作品にしたタオルがたくさんあります。

 最近では・・・・


 「子供用の白無地のタオル、ハンカチというのは本当に少なくて、困っています。
  大都市圏の幼稚園、小学校受験には必須アイテムなのに・・・。
  もし、今後企画されることがありましたら大々的に宣伝してくださいね。」

 「薄手のミニハンドタオルを探しています・・・。」

 「園児の母です。15cmまでのハンカチはありますか?」

 「20cmのサイズ以外に白色でのコースターより大きくてハンドタオルってあります?」

 これはこれは、皆さんのお声を聞かずしてネットでタオルをご提供している意味がないですわ♪

 
ミニハンドタオル1
  
  僕も幼稚園児と保育園児の2児の父親ですが、確かに園児さんの
  制服のポケットは本当にかわいらしい小さなものです。

 
 市販のハンドタオルでは大きくて入らないのですよね。

 確かに妻も薄手のタオルを3つ折りにしてモッコリふくらませた
 ポケットにして持たせていました。


 何故、どこも作成しないのか?  ニッチなところをターゲットにしてないから。

  
   お問い合わせをいただいていたお母さん方にメールで作成させて
  もらいますと過去にさかのぼりご連絡さしあげたところ喜んでいただきました。


 まだ、完成してないのに予約いただく有り様です・・・。 感謝!


 当サイトは小さな規模ですが、そんなお客様と一緒にタオルを
 開発していきたいと思っています。

 どうぞ、身近にあふれるタオルでふとお気づきの点がございましたら
 お申し出くださいませ。

 作品にしたいと思います!

2006年03月30日(木)更新

村上 肇氏

 遅くなりましたが、このブログに参加させていただいたことに
 深く感謝しております。

 その御礼をいう中においてもこの方のご縁あっての今の私がいる
 ことにまずは言葉を発する必要があります。


 滋賀、在住の『村上 肇氏』である。 

 公の場で御礼を申しあげるのはそれなりに成長したときにしようと
 思っていたのですが、いつになることかと・・・(笑)

 お出会いさせていただいたのは2年前の滋賀県商工会連合会様の
 主催の滋賀Eビジネス道場のオープニングセレモニーでの席でした。


 当店は滋賀県の郵政(現郵政公社)の粗品を販売する贈答品店でしたが
 不況と民営化の不透明な情勢の中、模索している時でした。


  勇気を持って情報発信!

   
    これが村上氏のメッセージでした。



 僕は人が一歩、考えるところを先に進むところがあります。


  久米さんもおしゃってましたが少しおっちょこちょいなところが
  ないと中々、前例のないものへ進めませんもんね(笑)


 ご多聞に漏れずおっちょこちょいは子供のころからです・・・。


 即、セミナー参加の手続きはしたもののインターネットどころか
 パソコンの右も左も分からない僕でした。


 村上氏を信じようっ!  これが大きな転換期だったと今は思います。


 毎日、教わることをひとつも漏らさず、実践しました。
 ひとつも漏らさずです!

 その代わり応用は一切、効きません。 分からないのですから(笑)


 しかし、変に雑学が無かったのが今はよかったのだと思います。

 知識が邪魔をして進めない仲間もおりました。


 言われたことをその日のうちにする。その当たり前のことは誰も出来ないのだと
 又、そのときに気づきましたね・・・。

 即、行動! は僕のポリシーでもあります。



  村上氏はいつも駄目な僕に温かくありながらもポイントのついた
 ご指導をしてくださり、先行く情報を絶えず、独特の嗅覚で察知して
 判断をしてくださいます。

 偉大であると同時にフレンドリーに接していただく。

 又、壮大な夢を持っておられる。 理想の男性であります。


 なかなか、僕は言い切ることが苦手でしたが村上氏にお出会いしてから
 男はしっかり言い切ることが大事だと思いました。
  時には言い切って後悔されていることもあるようですが(笑)


 上手に言えませんが、道しるべを付けていただいたご縁があって
 現在はサイト運営が出来るまでにしていただきました。
 そしてこの社長ブログも・・・。


 心より感謝申し上げますとともにこれからも滋賀から元気な情報を
 発信していきたく思います。

 今後ともよろしくお願いいたします。
 

2006年03月29日(水)更新

村が消えた日・・・

見せる防犯

滋賀県長浜で児童殺害事件は記憶に新しい。

ぶっそうな世の中になったけど、ほんの5~6年前まではそうでも
 なかったような気がしませんか・・・。

 昨年1月1日に市町村合併で滋賀県唯一あった村【朽木(くつき)村】が
 高島市になってしまいました。
 県下唯一の「村」で、若狭から京都への鯖街道で知られており自然の
 豊かな空気のうまいところです。。

 昔ある日、配達を車でしていたら前からバスの運転手さんが
 両手を振って降りて僕に止まるように合図を送ってきはります。


  (?????ん?)

 運転手さん:
  「小学校の1年生が前のバス停で降りんならんかったやけんど
   忘れてしもうててのう・・・おまえさん、手前の停留所まで
  乗して行ってくれんやろかあ!?」

 僕:
  「ええ、いいでっせ。横に乗りい!」

 バスの乗車客員のおばあちゃん:
  「○○ちゃん、さいなら。明日は降りんにゃでえ~~」

 
 田舎のバスは1時間に1本あるかないかのところやもん。
 日々、こんなことがあんにゃろなあ。って当時は思いながら
  
  「乗りこしてもたんかあ?大丈夫。安心しい。ちゃんと届けたるで」

  って言うても何も言わず下向いていた少女を今も覚えてます。


 このお話が温かい人間のふれあいで田舎らしくていいなあ!って方と

 あまりにも無防備で安心して子供を預けられんわ。ってな方と

 二つに分かれることでしょう。


  しかし、僕から言えるコトは人間は人の愛やふれあいが無いと
 生きていけないもんやと思うてます。

 当サイトでお買い物された方も信用して安心して僕に商品を
 依頼してくださった。そしてふれあえて感謝の気持ちが沸いた。

 その愛情や信用が受け入れられない人たちが精神的犯罪に染まることの
 多くなる中、人はネット社会が深まっても、絶えず、生の人間と
 接することが大事だと思ってます。

 日本よ、どこへ進もうとしてんねん。
 問いかけます。自分にも・・・。

 今、自分に出来ること・・・。

 見せる防犯も必要かと腕章巻いて配達です!

2006年03月28日(火)更新

長渕 剛さんにタオルを作りたい !

長渕剛さん
聞き始めは高校の時だった。順子♪が流行っているころは、まだ、髪の長い兄ちゃんくらいの印象だった。なんせ野球部だったから髪の長い男には興味を持たない事にしていた。

勇次♪が歌謡番組で流れた時に一本の魂がこの男から降り注がれた気がした。当時は表通りを歩く仲間がファンでいっぱいだったが今は、どこにファンがいるのか分からないほど、剛ファンだと正々堂々と言っている仲間が少ない。
でも、コンサート会場は満席で熱く熱く、そしてアーチストの剛を堪能する。又、どこへとなく裏通りへファンは消えて行く・・・

生き様がきついのか?歌詞がストレートなのか?血生臭いのか?表裏や損得勘定がある男に映るのか?いきって生きているように思えるのか?

僕にはどうでもいい。

いつとなく長渕 剛さんの曲にはその時、聞いた時代も思い出すし、そのとき、そのときに聞くシチュエーションでも違って感じられるし、強く自分の魂にアドレナリンを発していただく。

「人をそんなに好きになれていいね!」って妻に言われた事があるが、言われてみれば、そうなのかもしれない。

自分が不器用であってもいい。ロマンチストであってもいい。挫折をしてもいい。前を見ろ!男でいろ!日本人でいろ!親を兄弟を敬え!自然でいろ!幸せを感じろ!・・・・・・・・・・・・・・・

長渕 剛さんの発するメッセージは明快である。


数年前、結婚式の和装での入場には”人間”という曲で入場した。

”そうだ俺たちは人間だもの・・・二人の身体には血が流れているから・・・”

妻と僕のどちらかが先に逝く最後の葬式も”人間”の曲を流して出会った頃と同じようにお別れしようなって。そこまで決めている。



我流で覚えたギターで産まれた息子に長渕 剛さんの曲に載せて歌詞を書いた。

息子は夜泣きをするからそれを歌ってやるとよく寝たものだ。
今は息子が口ずさむ。



”死んじまいたいほどの苦しみ悲しみ・・・””やるなら今しかねえ””人は皆弱虫を背負って生きている””NEVER CHANGE・・・””呆けた母ちゃんが遠くを見てる・・・””出世払いでいいからとっとと食えって言ってた””いつかの少年みたいに・・・””だから真っ直ぐ真っ直ぐ真っ直ぐ生きて・・・”

全て別の曲だが全てが自分の細胞の中では、リンクして自分を奮い立たせてくれている。



なぜだか分からなくていいと思っている。

単純なんだ。繊細でいて不良でいて点滴も打って人の出来ないことをやろうと挑戦して変に意固地になって、うつになって人が嫌になって、好きになりすぎて・・・全て共同体として同じ事を今、自分がしてきたことが一緒だと思える。

いつか、長渕 剛さんにタオルを作れるタオル屋になるためにネットショップを始めた。
【タオルはまかせたろ.com】


それは、自分の【夢】のひとつである。

「長渕 剛さんのタオルを作る!」

願えば叶うは僕も剛さんも信条だ。滋賀の琵琶湖のほとりにあるタオル屋は今は全国でも通用するタオルサイトにおかげさまで成長した。

たくさんの皆さんと出逢えた。

いつかは長渕剛さんのタオルを作りたいっ!

魂の宿ったあの血吹雪のような書体の入ったタオルを。自分にしか作れない喜んでもらえるタオルを! 魂込めて。

いつもそう思って作っているからお客様は喜んでくださる。

【夢】は叶う。意志があれば必ず。

そして、ここまで導いてくれた長渕剛さんの詩に感謝をしたい。

ありがとうございます。

2006年03月27日(月)更新

良き出逢いがタオルへ

学生時代にはいつも笑っている奴がクラスメートにはいたものだ。
そして本当に優しい奴もいた。

「トレーニング用に僕にも鉄アレイを貸してほしいなあ」って言ったら、ほんまに5kgもするのをふたつ、バイクに乗せて大学まで持ってきてくれる純粋な奴がいた。

普段、学校に来ないで来たらけんかする奴にけんかを止めに入り、自分が殴られても制御しようとする親友がいた。

それを偽善的にしているのでなく心の底から行動してしまえていた友を見ていた私がいた。



高校時代に母が病気で倒れた。

弁当が持って行けない僕にクラスメートの女の子が日替わりに弁当を作ってくれた。まだ1年生の出会って間もない仲間がそんなに優しいのか!って感謝の気持ちが初めて本当にわかった瞬間だった。

教室の放課後、野球部だった僕は練習前にみんなが一生懸命、千羽鶴を折ってたのに気づいて「何やってんの?僕も1匹織らせてやあ」って言うたら最後の千羽目だった。

グランドでいつものように練習してると学級委員が糸を通して連ねたさっきの千羽鶴を僕のおかんに!っと持ってきよった・・・


それ以来、人間の生の温かさを知り恩返しの出来ることは人様にしようと思えるようにななった。

数日後、母から「皆様へ・・・」っと宛てた手紙はずっと教室の後ろの黒板に貼ってあった。

いい仲間に出会えて今があると思う。


今、そのご恩返しをしたくてオリジナルタオルの一枚からの制作をネットで始めた。

ヨタヨタになるまでお気に入りのタオルとかジャージとかTシャツとか誰でもあるじゃないですか!変に捨てられへんやつ。
そんなんを1枚から買ってもろて、酸いも甘いも青春の汗をいっぱい吸収してほしい。

人の出逢いが人生の深みを持つと思って生きている。

感謝の気持ちが自然と沸けばお客様が何を望んでおられるのかを中心にタオル作りが出来る。

貴重な商売の考え方を教えたもらったのはそんな今まで出会った仲間によって自然と教えてもらった財産である。

今も損得なしで物事を考えて接していただく仲間の皆様が周りに存在することをほんまに自分は幸せだと思い、人様に何かをしたいという思いに自然とさせていただける。

感謝の気持ちでいっぱいだ。合掌
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